よい日々を

pakira_s2007-09-30

写真は以前ローマで撮った修道院の庭です。


先日、ある会合で私の年賀状を見た方から
「lanternjさんは、よき日々をお祈りします、って年賀状に書いてありましたが、宗教関係の方ですか。ちょっと変わった言い方ですね」
と聞かれました。その年賀状には、白い倫敦塔と赤い薔薇の写真とかも添えていたので一層宗教的な雰囲気を感じられたのかもしれません。
この言葉に込めた気持ちは、なかなか一言で言えないので、ここに書いておこうと思いました。


この言葉は、以前、とても素敵な人からもらったメールにあったものです。
その人がどんな気持ちを込めて使っていたのか、私も今はよくわかりません。
でも、それを見たとき、いい言葉だな、と思い、お話しして使わせてもらうことにしました。
私がこの言葉を使うのは、いくつか理由があります。


一つは、以前私が年賀状を差し上げた方から、年が明けてから大部経っていただいたお返事を読んだこと。
その方は、息子さんを交通事故で亡くされて、クリスマスやお正月で浮かれる日本にいるのがつらく、誰もいない海の見える崖の上で奥様と一緒に思い切り泣いてきた、と書いておられました。
それからも、私は幾度か、大切な方を亡くされ、
「大切なあの人があんな悲惨な死に方をしたのに、自分が幸せでいることは許せない」
といったお気持ちや
「もう幸せは望まない」
というお気持ちを持たれる方々にお会いしました。
そうした方々には「ご多幸をお祈りする」というような言い方はそぐわないように思う。
それでも、私は、そうした方々によい人生を送って欲しいと思うのです。
その気持ちをぎりぎり表す表現として、よい日々を、という言葉を使うことがあります。


もう一つは、これまで生きてきて、苦しみを見、またそれとと共に過ごす方々をみてきました。
また、自分自身でもさまざまな経験をしてきました。
そして、その時幸せだ、と思ったようなことが、その後の苦労に結びついていたり、とても悲惨な経験が、その人を見違えるように立派にし、より大きな責任を負って世の中にすっくと立っておられる姿を見たりすることがしばしばありました。本当に、何が幸せで何が不幸なのか分からない。それはその人の生き方にかかっている。
その時、「幸せ」という、やや外部から来るイメージの言葉より、自分の心や行為による、その時のその人の在り様が、しみじみとよいものであることを表現できる言葉の方がしっくりとくるように思えるようになりました。


もちろん、私も普通に「ご多幸をお祈りします」と言うときもあります。
でも、ある人の心に寄り添い、ある気持ちを共有したいと思うような時、あるいは、遠く離れてしばらく会っていなくて、どんな暮らしをしているか分からないけれど大切に思っている人に手紙を書くとき、そんな時には
「いい日々をお祈りしています」
と書いています。


私も、ある人から教えてもらったこの言葉ですが、また使っていただける方がおられるのは有り難いことと思っています。