事件の核心

グレアム・グリーン「事件の核心」を読了。
この余韻が特に懐かしい。これがグリーンの最高傑作とも云われているが、他のものも好きなのだ。
特にグレアム・グリーンのような場合には余計そうかもしれない。
それにしても良く書かれており、誰か一人を罪人にしたりヒーローにしたり敵役にしたりすることのないよい小説だ。
軽い言葉で言えば、優しすぎる警官。
グレアム・グリーンの作品はやはり日本人には受けるのではないだろうか。
カトリックの信仰が背景にあり、その部分はわかりにくいとの指摘もあるが、グリーンは十分具体的な記述でそれを補ってくれていると思う。
それは、下記の引用からもわかるのではないか。
むしろ晩年の彼は現実のカトリック教会を批判していたし、現実のカソリックを突き抜けた、もっと普遍的な、「神秘主義的」 *1 なカソリックの立場にあったように思われる。

筑摩書房世界文學大系60巻、伊藤整訳で読む。
古本屋さん(つのぶえ書房)で購入した、昭和36年7月発行の本。
早川書房からは小田島雄志さんの訳で出ている。
一度早川書房版も読んでみたいものだ。
以下は、引用。ネタバレには、ならないと思う。

p.293
そしてスコウビイは、乾燥季と雨季とを通じて、けっして起こらない何ごとかを待っているこの神父のただれた、哀訴するような目にふたたび気がついた。おれは自分の重荷をこの人に代わって背負ってもらうことができるのだろうか、と彼は考えた。・・・・
自分には彼と同じようにその答えはわかっている。他人にはいかなる犠牲を払わせようとも、人間は自分自身の魂を自分で守らなければならぬ、というのだ。そしてそれはおれのできないことだ。けっして将来もできそうもないことだ。
p.295
「ぼくが必要なのであれば、ぼくはいつでも来るよ。」
「ほんとう?」
「いつでも来るよ。生きている限り。」
神はいまでなくてもやがて愛される番が来るのを待っていることができる、と彼は考えた。神の創造物のひとりを犠牲にしなければならないとき、どうして神を愛することができようか?たとえば子供が犠牲にならねばならないような愛を、母親の女が受け入れるだろうか?
p.317
「・・・・そうすると約束できるかな、私ではなく神様にお約束するのだ」
・・・・おれは生きているうちは毎日人間を騙しているのだ。だが、おれ自身あるいは神だけはだますまい。彼は答えた。
「それを約束しても無駄だと思います、神父さま」
「おまえは約束しなければならん。手段を求めずして目的を求めることはできんのじゃ」
ああ、だが人間は求めることはできるのだ、と彼は考えた。できるのだ。人間は都市が略奪されることを望まずに勝利の平和を望むことができるのだ。
p.319
ミサの聖典がはじまった。・・・・・・
「あなた、ご気分いかが?」
・・・・・・
「大丈夫だよ」と彼はいったが、昔ながらの渇望が彼の視線を刺激し、彼は祭壇の上の十字架のほうを仰ぎ見て、はげしく考えた。あなたはこの毒液の海綿を受けとるがいい。私がこうなったのはあなたがしたことだ。槍の一突きを受けるがよい。・・・・・だが、神は神みずからを救うためにはけっして奇跡をおこなわないのだ。おれは十字架だ、と彼は考えた。・・・・だが、ああ、十字架の木材なるものがものを感じないようにできていさえしたら。そして、釘なるものが、人の信ずるように、無感覚なものでありさえしたら。
p.324
彼女はいった。
「私がほんとうに嫌いなのはそのカトリック教ですわ。・・・・・」・・・・・
「ぼくに愛情を示されたことがなかったなどというふりをしてはいけない」
・・・・・・・・・・
「ぼくは苦しみを見ているに忍びない。しかもぼくはいつもその苦しみをつくってるんだ。ぼくは逃げ出したい、逃げ出したい」
「どこへなの?」
そのとき、彼のヒステリイと正直さがすっと消え去った。彼の老獪さが野良犬のように敷居をまたいで入ってきた。
p.328
次々とつづく春夏の祝祭日や、早朝のミサなどの長くつづく教会での日々が、永遠につづく暦のように彼の心に展開した。彼は自分の目の前に、鼻血を出した顔、雨のように切れ目なく注がれる打撃を受けて閉ざされた目、殴打を浴びせられて横ざまによろめく神の顔の絵姿などを突然ありありと見た。・・・・・・・・・・・・・・彼は指輪をはめた手で神の顔の目の下のところを打った。そして皮膚が傷つき破れるのを見た。彼は、また神の子の顔を厩の汚穢のなかに突っ込むことを想像しながら「そしてクリスマスにはまたこうして」と考えた。

引用の最後は、事件の核心ではなく、End of Affair から。
「神よ、私をお見すてください。」

アマゾンには筑摩書房版はないが、同じ訳者の新潮文庫版を引用しておく。

*1:R.M.Albees,Graham Green et la responsabilite,1953,日本語訳のp.369