難地

「難地」というのは、近くの地蔵通り商店街にある、小さな中華料理店の名前。
あまりお店の名前には相応しくないような名称に思え、例えば他国から来て苦労をしながら生きている方が思い入れを込めて付けたのだろうか、と思ったりしていた。
お店の閉まってしまう時間が早く、休日も余りやっている様子が見えないので、ずっと入ることもなく過ごしていた。

今日、ふと見ると開いているので入ってみた。
ごく普通の構えの町のラーメン屋さん。
既にお昼もかなり過ぎている時間のせいか、他にお客さんはいない。
おじいさんが一人で厨房にいて、珊瑚色のデコラ板のテーブルの一つには読売新聞が、またスポーツ紙が置かれているテーブルもある。
新聞はホチキスで留めて適当に畳まれた状態で置かれている。
各テーブルの下には、黒い細い鉄棒を渡して雑誌などを置くスペースが設けられてあり、そこにはティッシューボックスも置かれている。
週刊誌のようなものはなく、新聞の広告誌と薄い神宮暦の冊子があるだけだった。
それは別にうらぶれているというのではなく、さっぱりとしていて掃除もよくされており、無駄な物がない、という感じだ。

私は食事を済ませていたので、あまり食欲はなかったのだが、厨房にいるお爺さんに声をかけ、一応ラーメンを注文してみた。
そして、クッションの殆ど無い、赤いビニール張りで黒いパイプの椅子に腰掛け、暦の本などを見る。
暦の本には吉凶の方角などが載っており、こんなにいろいろな差し障りを全部気にしていると大変だな、とか、これだけ色々な要素があるなら、何かあったらこれらのどれかに障る、とか言われそうだな、とか、年によって全員にこの制約がかかると、一斉に何もしない日とか方角とかができそうだな、とか思ったりしながらラーメンができるのを待っている。

それほど時間も措かずにお爺さんがラーメンを持ってきてくれる。
そこで、
「このお店の名前は変わっていますね。何か由来があるのですか。」
と尋ねる。
お爺さんは、
「親方の名前が、難波(なんば)というので、その名前をもらおうと思ったのだけれど、まるっきり同じというのもどうか、ということで難地にした」
と説明してくれる。
静かに考え事をしながらラーメンを食べていると、小さなお婆さんが入ってくる。
「いらっしゃい」
と声をかけてくれる。見ると手に買い物も持っていて、帰ってきたところなのだろう。
ラーメンの方は、実に普通のラーメンであった。