断食による安楽死

山折哲雄さんの講演録を読む。

山折さんは、断食による安楽死を肯定している。
そして、西行も含め日本の高僧は死期を悟ると、五穀断ち、十穀断ちという精進を行い、その後完全断食に入り、やがて水も睡眠も断ち、静かに息を引き取っていた、とのお話をされている。
山折先生は、自らの胃潰瘍治療についてお話しされ、絶食療法時に、1−3日目は「地獄の餓鬼の世界もかくや」と思えるほどの飢餓感に襲われた。それが、4−5日目になると飢餓感がすっと引き、6日目には細胞全てが入れ替わったのか、と思うほど清涼感が体中に漲り、五感が研ぎ澄まされ、快適な気持ちになった、とのこと。

これは、安楽死、というか、自死、自殺というべきものだ。
一般的な安楽死と違い、他人を巻き込まないのでよいかもしれない。
また、或る意味で自然な死、とも言えるだろう。
シュティフターの「石灰石」の神父の死もそのようなものと言えるかもしれない。

また、興味深いのは、70歳を超えた頃から、
「お前、今、死ねるか」
という天の声が聞こえるようになった、と言われる。
大抵の場合、「駄目だよ」と言って追い返す、と言うが、この「追い返す」という言葉にお元気な様子がうかがえる。
私など、今来てくれても、死ねます、と言ってしまいそうだ。

尤も、私は山折先生よりも、もっと強く死後の世界というか、世界と存在の普遍性を信じているところがあるので、死が一つの区切りとしてしか見えないからかも知れない。