終身刑を生きる

米国ペンシルベニアの刑務所での終身刑受刑者の手記。
興味深い本ではある。

ただ、amazon のカスタマーレビューにもあるような「どのような犯罪を犯したかが書かれていない」ことや、写真の撮り方など、意識的に「犯罪者」というイメージから切り離し、人物だけを浮かび上がらせようとしているところがある。写真、氏名を載せているので、「犯罪者」のレッテルを決定的に貼ってしまうことを避けているのかもしれない。

ただ、どのような犯罪を犯したが書かれていないので、そちらの面からの分析や選択の有り様が判断できないのは、終身刑のあり方を考えようとする人々にとっては不満の残るところだ。
編者自身は、終身刑に批判的な意見を持っていることを冒頭に書いている。
日本での出版社自体も、特定の意図を持っているのかもしれない。
このような配慮による、人物像を浮かび上がらせるという意図は、一見成功しているように見えるが、この本に所収の収監者が被害者に言及することの少ないことと併せて、トータルとしての終身刑について考えさせ、人間についてもより深い考察を行うことを妨げている。

Interviewerも、犯罪や被害者のことについての収監者の考えを深く聞くことにはあまり留意していないように思う。それは、Interviewerの目的とは異なるものであったためと思われるが、やはり残念な感は否めない。収監者を責めることには躊躇があり、自由に心境を語ってもらう上での妨げにもなると思ったのだろう。そして、それは事実であるかもしれない。きれい事でない、本当の心情を語ってもらうには(或いは逆に表面的に言いたいことを聞き、そこから対象を把握するためにも)、このような手法がいいのかもしれない。

被害者や他の人々が期待するのは、被害者に対する贖罪と収監者が再び犯罪を犯すようなことのない者になることだろう。しかし、それに対応するような、実の感じられない、きれい事ばかりの形式的模範囚の話ばかりでもまた鼻白む思いがするのではないか。

決して人ごとではないのだが、人間が罪を認めることの難しさをしみじみと感じる。

終身刑を生きる―自己との対話

終身刑を生きる―自己との対話

  • 作者: ハワードゼア,Howard Zehr,西村春夫,高橋則夫,細井洋子,西村邦雄
  • 出版社/メーカー: 現代人文社
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本
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(補)
この本の著者のハワード・ゼアは、修復的司法では著名な人だ。
その意味では、被害者のことはそれまでに別の著書等で書いてきた、ということかもしれない。
また、正に、刑務所の更正プログラムが、被害者のことを犯罪者に十分考えさせないプログラムであることを示すためにこのようなまとめ方にしたのかもしれない。著者自身、被害者への気遣いについて訊ねなかった、と言っているが、それは、訊くこともできたのに訊かなかった、ということではないと思う。敢えて言えば、相手がその問いに対して応えることができないとわかっていたから訊かなかったのではないかと思う。事実、幾人かは被害者について言及しているし、その他の人については、話の流れから言及しても意味のないものになってしまったように思われる。

私はこれまで、何故犯罪の被害はそれほど深い傷になるのかを理解し、伝えようと苦闘してきた。私は、犯罪の侵害は基本的には意味づけへの攻撃であるという結論と、justiceと癒しは意味づけを回復することに大いに関連がある、という結論に達した。