永遠の終わりに

これは売れないだろうな、と思いますが、私は大好きです。
よくこんなものが販売されたな、と思う。
日本もたいしたものだ。
もっとも、このゲームを最後に「たまソフト」は解散してしまうのですが。
いわゆるエロゲーなのだと思いますが、特に涼のルートはそうした場面も抑えていて自然な感じです。
D
たまソフトのHPがなくなってしまった後も、「永遠の終わりに」のHPだけは残っていたのですが、最近確認したところ、それもなくなってしまっているようですね。
http://www.eternalend.com/top.php

永遠の終わりに

永遠の終わりに

原画を描いた方のブログ。
このゲームは絵もとても気に入っています。
女の子の表情が、気持ちがよく出ていて胸に迫ります。
原画を描いてくれた長浜めぐみさんによると、どうやらこのゲームは「人知れず黙々と製作」が進められていたようです。しみじみします。
http://nmbg.blog103.fc2.com/blog-entry-139.html
http://nmbg.blog103.fc2.com/blog-entry-154.html
http://nmbg.blog103.fc2.com/blog-entry-148.html
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http://nmbg.blog103.fc2.com/blog-entry-141.html


声優のみなさんもよいと思います。
いずれもよいと思いますが、やはり私として思い入れのある涼君の声はよく聞きました。涼君は渡部絵美さん。帆月君は風音さん、桃はみるさん、くるみは水霧けいとさん。渡部絵美さんと水霧けいとさんは同じサークルというか、劇団のようですね。


以下、ネタバレですが、書いてみたいと思います。
niconico動画でも公開されている前半のプレイ画面は、長澤敬介君が主人公になります。
長澤敬介君は、それぞれの登場人物にとって「こうあるはずだった」行動をとり、周囲の人々もそれを体験します。
しかも、それは長澤敬介君自身の意思、行動であり、周囲の人々の思いや行動も長澤君の行動との関係として織り出されていきます。


「長澤」という名前自体、どうやら圭一のお母さんの新しい姓のように思われます。或いは旧姓?或いは「八生圭一」の「八生」の方がお母さんの旧姓かも知れない。
長澤敬介、ということは、お母さんと一緒に暮らしていた、ということか。ことによるとお父さんとも一緒に暮らしていたのかも知れない。帆月との関係では本当の弟になっているのだと思います。
特に帆月ルートでは、お母さんが大切な役割を果たしているのですが、その伏線も、とても見えにくい形ではありますが前半部にあるように思います。旅館をしていたお母さんは料理もうまいはずで、瀬科町で評判のよい長澤食堂は、本当はお母さんがやっていた食堂なのではないかと思えます。なぜお母さんがいなくなってしまったのか。それこそ(間違いを犯してしまった自分は去り)敬介に居場所を残し、いつか旅館を再開するためではなかったのか。本当はお母さんは死んでしまったのに、後日談であるはずの前半では長澤食堂が繁盛している。そうあるべきであったのだと思います。


一つ一つ、実現するべきであったことを何らかの形でみんなの心に刻んでいく。それが敬介の役割に思えます。経験すべきであったことを、皆が経験することによって、止まっていた時計が動き出す。それは、おそらく圭一も含めてなのだと思います。むしろ、誰よりも圭一にとっての「そうあるべきであった」時なのではないかとも思えます。


涼ルートで、本当は圭一だって、ボディガードなどで帰ってくることは矜恃に反するのではないか。しかし、圭一はそれも気にならないほど、涼に対する思いも深いことに気づいたのだろうし、またお父さんはそのような圭一を迎えるに当たり、一人の人格として認めていることが圭一との会話で分かる(圭一のことだけを認めているのではなく、おそらく若い人々を認めているのだ。)。涼が、瀬科町の小物やさんや猫喫茶に行ってみて、と楽しそうに敬介に語るとき、それは圭一につきあって欲しかった場所なのだ。もちろん、圭一もつきあってくれなかったかも知れないけれど、そうやって誘いたかったのだ。そして、作ったお弁当を食べて欲しかったのだ。


帆月ルートの最後では、照云さんが軽自動車で大縫寺まで帆月を送ってくれる。その際、不思議なのは、送ってくれて一緒に来たはずの照云さんが門の向こうで迎えてくれていることだ。
「今、開けるから門のところで待っていて」と言って車を置きに行っていたのかも知れないが、それも変な話で、退院したばかりの帆月を一人で立たせたり境内への階段を上らせたりするよりは一緒に車で上がっているはずだ。まあ、少し先に立って歩いて先に門の中に入り、歓迎の意味で言ったのかも知れないが。
このゲームは誤字もあるし、ことによると急いでデバッグしたのでこうした矛盾が残ってしまったのかも知れない。
しかし、実はそうではないのかもしれないと思っている。それぞれのルートの最後には奇跡が一つではなくいくつか仕込まれている。帆月のルートでは、新聞に加えての奇跡は、照云さん(お母さん)が照云さんのところに送ってくれたことなのではないかと思っている。「軽自動車」というのがポイントと思う。敬介の思い出の中で、お母さんに軽自動車に乗せてもらうところがある。お母さんはどんなにか帆月を乗せて一緒にいたかったろうか。お母さんと一緒に照云さんのところに帰ってきた、と言うことなのではないか。そして、恋人としての圭一は消え、弟としての圭一といつか会うことがあるかも知れない。照云さんにとって、帆月と生きるということは、お母さんと生きるということでもあるのだろう。
帆月へのお見舞いの際、敬介は克也と帆月が二人で楽しく話せるように気遣っている。現実ではクリスマスイブに届けることのできなかったケーキを届けている。
2ちゃんねるの「永遠の終わりに」の板では、次のような書き込みがある。

12 : 名無しさん@ピンキー[sage] : 2009/01/12(月) 01:22:13 id:emls/Pff0
答えは出てるでしょ。
涼√の最後で後味最悪な終わり方してるけど現在に帰ってきてから親の考えを受け入れて前進してる。
それは圭一=敬介の行動がなければできてない。
メガネ√では現在に帰ってきてから圭一を拒否して乗り越えてる。
ヒロインの成長って視点で見ると答えは出てる。
居なくなった圭一からエンディングのヒロイン達を見るとハッピーエンドになってるって気が付いたら鳥肌立った。

脇キャラの声入れて桃√入れてメガネ√リメイクした完全版希望w

413 : 名無しさん@ピンキー[sage] : 2009/01/12(月) 01:41:07 id:ZmS2m4I60

→412
>メガネ√では現在に帰ってきてから圭一を拒否して乗り越えてる。

残念ながら、心底惚れた人間を選択したのではなく、自分を支えてくれた
という事を基準にしている時点で「弱い自分が寄りかかれる相手」を選んだ
だけであって、乗り越えたなんて聞こえの良いものではない。
消えてくれなんてのはその最たるものだ。
「圭一が自分の為に消えるという辛い選択を選んだ様に、私も圭一を
思い出にするという選択をする」とでも言ったなら、前に進んだと言えるが。

今となっては桃√もしょーもない話だったとしか思えないから、完全版とかも要らない。

とてもよい書き込みではないかと思います。
413の書き込みをした人は、実際に自分が必死で恋をしたことやつらい失恋を経験したことがあるのかどうかわかりませんが(ないように思えますが)、こういう姿勢で人生に対峙するのは大切だと思います。
ただ、現実はそうではないように思います。特に恋愛において別れなければならないときは、第一歩はこうしたものであることが多いと思いますし、先の書き込みのように、帆月はむしろ立派だと思います。


くるみルートは、その意味では分かりやすい。
徳が出て行くところがむしろわかりにくいが、青春とはそんなものだ、と言えばそうかも知れない。


そして、本当は、やはり桃ルートがあったのだと思う。パッケージやバナー、宣伝媒体などを見ているとそう思える。長浜さんのブログにも、微妙な表現*1があります。
桃ルートは、おそらくヤクザや利権が絡む予定だったのではないか。
その中に圭一や、涼のお父さん、アサマート、ことによると圭一のお母さんも巻き込まれたのかも知れない。山県さん、番長グループも関係してくるだろう。
桃は、戦う力を持っている。
それ故に巻き込まれていくのではないか。
そして、圭一も共に戦うことになる。
しかし、桃にも危険が迫る。帆月もことによると何か残虐な事件のショックがあったのかも知れない。
桃が圭一を守るために、自らの死を賭するような事態が予想され、それを避けるために圭一がいなくなってしまう、ということがあったのではないかと思う。前半では、桃のおじいさんと一緒に剣の練習をするような場面もあったのではないか。実際にもヤクザの出てくる場面、涼のお父さんの事務所の前での不審な三人組など、桃ルートの伏線であったと思われる場面がいくつかある。桃ルートというのは勝手な想像かも知れないけれど、桃ルートがなくなってしまって本当に残念だ。よい子であったのに。そして、桃ルートではできれば18禁の場面はない方がいいと思う。圭一に対する憧れにしておいて欲しいと思う。桃ルートの素材とスクリプト編集機能のついたノワリスペシャル版とか出ないだろうか。
(参考)原画を描いた長浜めぐみさんのブログに、桃のことを「自分で描いたエロゲヒロインの中でもしかしたら一番好きなキャラ・・・でもなぜかエロがないという大きな欠点が。」とあって、ノワリで使っていない桃のイラストが載っています。とすると、エロなしの桃ルートがあったのかも(単に早期に桃ルートが切られていて絵がなかっただけかもしれませんが)。
http://nmbg.blog103.fc2.com/blog-entry-213.html


長澤敬介君は居なくなってしまうのですが、これも何というか、それでもよいように思います。
入学初日にくるみが撮った自分の写真を、後に長澤敬介君が見て、何も写っていないことに気付く。
とても不思議な場面ですね。渡してもらった時には、きっと写っていたのではないかと思います。
くるみにも撮ったときにはちゃんと敬介君が写って見えたのだと思います。
自分が写っていない写真を見たこの時、敬介君は自分で自らが消える時期が近いことを感じたのかも知れない。


もちろん、いろいろ残念なところもありますが(例えば「完」という最後の文字。こういう余韻を楽しむゲームで「完」はないと思います。他のゲームであれば「完」でもいいですが(それでもやはりよいゲームであればあるほどその世界にもう少しいたいと思うものでは?)、むしろ始まりではないかと思います。*2)、総じてよかったと思います。


変な言い方ですが、「長澤敬介」君は、ある意味で私の理想像かと思います。彼といると安心できて自分の目指す方向に進むことができる。敬介君自身も努力しているけれど。そして、去った後は忘れ去られているか、特に何か事績が記憶に残っているわけでないといった存在。敢えて言えば何となく楽しかったような、うれしかったような印象が残っている。
私も仕事柄転勤が多いのですが、私がいなくなった後、私の仕事や業績、或いは存在自体は忘れられ、しかし仕事の面でよき余韻が残り、一緒に仕事をしてくれた人たちがそれぞれの道をしっかりと歩んでくれる、そんな風でありたいと思います。そして、それは正に、「永遠の終わりに」の長澤敬介君のあり方だな、と思ったことでした。

*1:「ちなみに私は桃贔屓です。サブキャラ陣もお気に入り。」つまり、桃はサブキャラではなかった、ということ?

*2:本当は、敢えて「完」と書く意味もあるのかもしれませんが、それがゲームで明確に表現されていない以上このように書いておこうと思います。そうしたいという気持ちです。