風光書房の閉店

オフィスが神田に移転して早いもので3ヶ月。
漸く少し落ち着いて来たので、楽しみにしていた風光書房にも行こうと思い、場所を調べる。
すると、私のオフィスが神田に移転した11月に閉店していたことを知る。
ネットでは、20%引きセールのことなども書いてある。

風光書房には、以前練馬区栄町にあった頃、通学・通勤などの道筋であったこともあり、よく立ち寄った。
以前も書いたかもしれないが、不思議なお店であった。
一誠堂で、風光書房のこと、そして本当はそのご主人のことを尋ねたかったのだが、それも変なので、
「風光書房のような品揃えのお店はありますか。」
と訊く。因みに、私が尋ねた一誠堂の、出口に近い方のカウンターというかレジの人(私が尋ねると椅子から立ち上がって答えてくれる)は、痩身で長身、そしてメガネを掛けた細面の知性的な感じの人だ。更に言えば、実は古書店を営んでいるのは世を忍ぶ仮の姿で、実は何かの組織の幹部といった感じか(ゲームのやりすぎか)。
すると、
「この数軒先に、本と街の案内所というところがありますから、そこで聞いてみられてはどうですか。」
と教えてくれる。
早速そちらに行くと、まだ若い大きな目の女性がいて、私が物問いた気にしていると、
「何かお探しですか」
と声を掛けてくれる。
風光書房は閉店してしまったのですね、と切り出し、また、風光書房と同じような品揃えのお店はありますか、と尋ねる。
すると
「外国文学ですね。」(ヨーロッパ文学ですね、だったかもしれない。)
と答えて、
「○○文庫でしたら、○○書店と○○書店がよく揃っています。海外文学だと、田村書店もあります。でも、風光書房のような品揃えのお店はもうありません。」
と教えてくれる。
私は、その話を聞き、風光書房のことを知る人がいてくれたことがうれしく、また、風光書房の品揃え、書棚を思い出して、それが無くなってしまったことが本当に悲しく思われた。
「ご主人は、どんな風でしたか」
と更に問う。私の持っているイメージは、若い頃のいかにも文学青年というものなのだ。そして、その扱う本について、私が購入すると「売るときはまたうちに持ってきて下さい」と手放すのが残念そうに話す人だった。
「いつも微笑んでいる人でした。」
と、その、目の大きい女性は教えてくれる。
私はふと、「人々が私を思い出すときには、いつも草木を植えている人、として思い出して欲しい」と語ったというエブラハム・リンカーンを思い出す。
その女性は、私に、まだ風光書房の連絡先も載っている神田古書街の地図をくれて、
「もう閉店はしてしまったのでだめかもしれないけれど、ここに載っている電話番号にかけてみてはどうですか」
と言う。
私はお礼を言って、そこを辞した。
私は、オフィスの移転後、直ぐに訪れなかった自らの愚を責め、悲しい気持ちでオフィスまで戻る。

オフィスで、私はその地図を見ながら電話をかける。
数回の呼び出し音の後、アナウンスが流れる。
「おかけになった電話番号は」
と始まり、私は既に使われていないことを知る。ただ、その後に
「移転しました」という言葉が続き、さらに
「新しい電話番号は」という声が流れて不思議な想いをする。
私は呆然として暫し受話器を持ったままだったが、途中からメモをする。
アナウンスは、もう一度繰り返してから切れてしまった。

私は、直ぐに今メモした電話番号に掛ける。
長い呼び出し、そして、さらに転送をしたような音がする。
しばらく待って、驚いたことに、応答がある。
ゆっくりとした、懐かしい声が聞こえる。

しばらくお話をして、今は店舗は仕舞い、千葉の自宅でネットにて営業しているとのこと。
私は、閉店セールで、大切にしていた本が叩き売られてしまったのだろうか、と心配していたのだが、やはりそんなことはなかったのだな、と安心したりしている。
これから、ネットで書物を購入し、或いは千葉であれば小旅行のつもりで訪ねることもできる。

オフィスは秋葉原も近いけれど、風光書房は、おそらく本来の意味の「オタク」であるシュティフターのような人々が集まるべき、オタクの楽園であり、或る意味で秋葉原以上のディープな場所であった。そして、私も含めて、そのような意味のオタクは数も減り、世の中から消えつつある。
風光書房は、オタクの気持ちを大切にしていると、いつの間にか、比類の無い存在になることを教えてくれると共に、その閉店は、ある分野のオタクの終わりも示してるのだな、と思うことだった。