心騒ぐペン

昨日購入したセーラー100周年の島桑を使って作業をしています。


このペンは誠に奇妙なペンで、変な言い方ですが、どう受け止めていいか戸惑いもあります。勿論、昨日のブログで絶賛に近いことを書いているので、大いに評価はしているし、大好きなのですが、理由ははっきりしないながらやはり戸惑いはあるのです。
それは何故なのだろうか、と考えているのですが、一つには、このペンが心を騒がすものであるためではないかと思います。


万年筆にも豪華なものはありますし、派手なものもあります。
しかし、それでも、基本的に静かな、個人の手の中でしっくりと馴染むような存在が萬年筆なのではないかと思います。
ところが、この島桑は少なくとも現段階ではそうではないように思います。
例えば、筆記していても、角度によっていちいち違う表情で輝くものだから、つい手に取ってみてしまう。キャップを着けて見ていると、面積が大きい分更にその表情の変化や光の発し方が面白くどきどきしてまう。ペリカンターコイズ柄なども美しく、またセルロイドでも面白いものはあるのでしょうが、それらよりも変化が大きいように思います。


ネット上や雑誌の写真にあるようなやや落ち着いた雰囲気では全くない。店頭などでご覧になった方は分かると思うけれど、妙に明るく、白っぽく軽い感じの色合いだな、というのが第一印象ではないだろうか(実は、同じ軸が角度によっては非常に暗い色にもなるのだが。)。
つまり、杢軸であるけれど、非常に煌びやかで、どうもこの辺が従来の(少なくとも私の)万年筆というものの認識の枠組に合わない為、戸惑いがあるのではないかと思う。


ペン先の柔らかさは、パイロットでの例えで恐縮だけれど、SFMより柔らかく、シルバーンのFよりはコシがある、という感じ。つまり、かなり柔らかい。これも、基本的にはきちんと制御しなければならないのだが、ちょっとは制御を忘れても大丈夫という微妙なところで、きれいな日本文字が書けるにも拘わらずペン先が踊る快感がある。しかも、これはヌラヌラといった官能的な快感ではない。


このような独特の存在である島桑は、どうも落ち着いて使っていることのできない、心騒ぐペンであると思う。