quickassistの無効化

ときどきquickassistという機能が勝手に立ち上がる。
気持ちが悪いので無効化することにした。
まずファイルの在処を探し、削除しようとするが、TrsutedInstaller が管理しており、削除できない。
そこで、一旦、コントロールネルーセキュリティとメンテナンスーユーザーアカウント制御設定の変更 で、制御レベルを最低にする。
その後、秀丸エディタを管理者として起動し、quickassist.exeを開き、中味を空っぽにしてセーブ。(quickassist.exeの場所はEverythingで検索。)
その後、UACのレベルを元に戻す。
これでquickassist.exeを起動しようとしても、このPCでは利用できない、とのメッセージが表示され、起動されなくなった。

死すべき定め

ガワンデという人の書いた本。
読み終えた後、昨年2月に亡くなった母のことを思う。
そして、前日普通に休み、翌朝目覚めることのなかった母の最期の時に立ち会うことができなかったことが本当に悲しくなってきた。
92歳で大往生です、と人に告げてきたけれど、こんなにも悲しく思っていたのだ、という自分の気持ちに改めて気づく。

外付デバイスへの対応

USB接続の外付ハードディスクドライブを接続した際、エクスプローラーの画面が表示されるようになった。
以前はこのような動きをしなかったのだが(そのように設定していたのだろう)、アップデートか何かの契機で開くようになってしまった。

これは煩わしいし、セキュリティ的にも余り好ましくない。
そこで何もしないようにしようと思ったのだが、自身では忘れてしまったので、検索。

すると、下記のようにすることで対応できることが分かった。

Windowsの設定
バイス
自動再生
オフ
または
それぞれのアプリ毎に動きを設定

参考

Thinkpad X1 Carbon 5th を USB-Cドックにつなぐ(サウンド関係)

Thinkpad X1 Carbon 5thは気に入って使っていたのだが、急にバッテリーがへたってしまい、修理に出した。
ところが、帰ってきたものも、症状が改善していない。
(実は、保証期間が切れていたのにもかかわらず無償で修理してくれた。)

修理の際には、完全にデータを消して初期化してから送っているので再度修理に出すのが面倒なため、この際、疑似UPS付の据置型PCとして使うことにした。

久しぶりにUSB-Cドックに繋いでみたところ、ドックのヘッドセットジャックがサウンドバイスに表示されない。

また、Lenovoのサポートページ(ホーム - グローバルサポート - JP)から自動でドライバー更新などをやってみたのだが、効果がない。

そこで、下記から手動でドライバを入手し、インストールしてみたところ無事に認識されるようになった。
ThinkPad USB-C Dock Driver for Windows 10, 7, 8, 8.1 (32-bit, 64-bit) - JP

エレガンスの流儀 加藤和彦

私が嫌いな表現の一つに
「・・・・・のように思うのは私だけだろうか。」
というのがある。
この表現を読んで不愉快になるのは、自分の考えに他人を勝手に巻き込んでしたり顔をしている雰囲気があるからだろう。

さて、今、私は蔦温泉にいるのだが、私の泊まっている部屋には本が何冊か置いてある。
その中に、加藤和彦さんの「エレガンスの流儀」という本がある。

これが結構面白い。そして、その中の、「英国人における着崩しの考察」という章を読んでいたのだが、例えば英国人が絶対にしない着崩し方として「ポケットに手を入れる」を挙げている。実は私もあれは格好悪いと思っているので、読んでいてうれしく思ったことだった。

考えてみると、ポケットに手を入れて悦に入っている人を見て格好悪いと思うのは、「・・のように思うのは私だけだろうか」という表現と同じく、自分は格好いい(ことを言っている)、お前もそう思うだろう、という押し付けがましさを感じるからかも知れない。*1

ところで、この「英国人における着崩しの考察」という章は、
「こういった、着崩しの方が優雅に思うのは私だけであろうか。」
という文で終わっている。
私が嫌いな表現のはずなのに、通常この表現を読んだときの不愉快さを感じない。
それに逆に違和感を覚えてしまった。

これは何故だろうか、と考えるに、加藤和彦さんは、単純に字義の本来の意味で、
「私だけだろうか、これは結構変なので、こんな風に思うのは私だけかも知れないし、ことによると同じように考えてくれる人もいるかも知れない。そんな人がいたらうれしいが、ただ、私だけでも結構だ。」
と思いながら書いたのだろうな、と文章の流れで分かるからだろう。
それは、この箇所だけではなく、全体の文章の流れというか雰囲気も品があり、それがこの自然さにつながっている。

これは、天性のものかも知れないし、厳しい鍛錬の賜であるかも知れない。
そもそも、この本のタイトルである「エレガンスの流儀」であるが、肝心なことは「我慢」である、と言っている。

エレガンスであるために、表現自体をニュートラルなものにする、研ぎ澄ます、ということも、これは正に大変な我慢がいることだろう。
自ら命を絶ってしまった加藤和彦さんだが、時々行かれていたバーにお邪魔した折にでも、改めてマスターにお話を聞いてみたいと思う。

エレガンスの流儀

エレガンスの流儀

*1:まあ、私の場合、逆にちょっとカッコ悪い雰囲気を出したいときに、そうした格好をすることはある。  Leaf の Routesの最後に主人公がポケットに手を突っ込んで歩き出す場面がある。あれは、自分として大きな仕事をし、そのようなときには謙虚な気持ちになるものだが、そのようなある意味で小さな、大したことのない自分というのを表現するとき、ポケットに手を入れている。このようなときには、背中もなんとなく丸くなる感じか。私は、その気持ちがしみじみと分かるように思うし、多くの方とは共有できるのではないかと思っているが、Routesの評価を見ても一部の方は、何をやっているのか、という感じを持たれるようだ。

MS Office Click-to-Run

PCが重いのでチェックしてみると、Office Click to run というサービスが動いていた。
そこで、これを止めてみたいと思った。
とは言え、MS Officeを起動すると、このサービスが動く、ということで、まあオフィススートを使うときには仕方のないことなのかも知れない。

出来るだけClick-to-Runサービスを止めておく方法
出来るだけClick-to-Runサービスを止めておく方法 – 雑記帳

[library]飲んで死にますか、やめて生きますか

飲んで死にますか やめて生きますか

飲んで死にますか やめて生きますか

この本は、自分の先延ばしにする癖を克服するために読んだ。
いろいろ考えることころがあった。