笑顔

今日は、80歳を越えられた方とお話をさせていただく機会がありました。


学徒動員でソ連国境のアムール7202部隊に配属。マイナス40度の環境の中での勤務。
警戒していると、近くにソ連軍の灯りが見える。
そこから京都福知山へ、そこからルソン島に配転になる。
特攻隊を送り出す航空基地に勤務になるが、燃料がなくなり、山に逃げる。
8月の終戦後も、それを知らず、11月まで山の中にいて、その後米軍の捕虜収容所へ。
名古屋港に帰ってきて、リンゴの唄に迎えてもらう。


それから弘前に帰ってきて、お母さんと一緒に猿賀神社にお礼のお参りに行く。
その方は、「○田○造」というお名前ですが、「○○ぞう」というのが神主さんに読めなくて、何度も
「○田、○田、○田・・・・」
と繰り返して、最後に「むにゃむにゃぞう」とごまかされてしまった。
お母さんと、まだ二十歳をわずかに越えた「○○ぞう」さんが、神主さんの読み方を聞きながら目で笑い交わしたことだった。