驚き

「最後の日本人」を読んでいたら、下記のような記述があったので驚きました。
p.77

日本にある三上にとって、1911年は屈従と心痛の年であった。この年、国定教科書「小学日本歴史」の改訂が進められると、南朝を正統とし北朝を非とせよという国家的圧力が加わり、従来南北朝並立の形で執筆してきた喜田貞吉が、その任を解かれるにいたった。三上はその主査の任にあり、しかも史料編纂所の田中義成らと共に、学問の客観的立場から二つの朝廷の並立を主張してきただけに、彼もまた主査を辞任した。この間、明治天皇南朝正統論を是認することになるが、天皇家北朝の系統に立っていたため、三上は政府と宮中のあいだにはさまれて、ひどい苦衷を味わわなければならなかった。