brain wash

インターネットでマルチ商法関係について議論しているサイトを見ていたら、そうした商法の会員勧誘の会合では、次のような方法で会員を勧誘しているとのこと。

  • グループ分けする
  • まずグループの内の一人を他のグループ全員で非難し、尊厳を破壊する。これをグループ全員に対して行う。
  • こうした非難は理不尽であればあるほど効果的。自分が非難されていることに理由があると自分が現在有しているパラダイムで理解できる内は人格破壊につながらない。
  • 次にこの人を会社側の者+グループ員で持ち上げる。貶められている人は、自分を認めてくれる人の言うことは何でも聞いてしまう。

こうしてみると、如何に自分に対する信頼を持ち続けることができるかが、マルチ商法や宗教、組織等において自分を失わずに対処できるか、ということにつながる。
キリスト教、仏教を含め、既存の宗教も罪の意識を持たせ、自らを小さい存在ないし無とし、神の存在と同化することによって喜びを感じる、ということで同様の仕組みのように思われるが、どこが違うのだろうか。
それは、自らの中の神を探すか、安易に外部の現世的神を探すかの違いだ。
エックハルトの記述などは、自らの中の砂漠を神に匹敵する、乃至は神すら及ばないものと論ずる。
道元ロヨラも、僧及び寺院・教会システムへの無条件・無批判の帰依を求めるが、また一方で厳しい修養をも求める。この点は難しいところと言える。しかし、これはむしろ組織論ともいうべきものなのであって、内面に関して言えば表面を突き抜けた所を見よ、と言っているに過ぎないと見るべきだろう。