誰にも語るな

新約聖書を読んでいると、よくこの言葉がある。

一人の癩病人みもとに來り、跪づき請ひて言ふ、『御意ならば、我を潔くなし給ふを得ん』イエス憫みて、手をのべ彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言ひ給へば、直ちに癩病さりて、その人きよまれり。やがて彼を去らしめんとて、嚴しく戒めて言ひ給ふ『つつしみて誰にも語るな、唯ゆきて己を祭司に見せ、モーセが命じたる物を汝の潔めのために捧げて、人々に證せよ』
(マルコ傳蘄音書40)

何となく読み飛ばしてきたけれど、不思議には思っていた。
しかし、今日、その大切さが分かった。
何かよきことをしたとき、自らそれを言わないのはもちろん、他の人が語ることもそれを止める。
私も含め、なんと今の世に欠けていることだろう。
しかし、考えてみれば当たり前のことではないか。
こんなことを忘れていて、今思い出すとは、私も長い旅に出ていたのだな、と気付く。