牛尾治朗さんの本。
その132ページから引用。
居ル所赫々ノ名ナキモ
去リテ後、常ニ思ワル
その人がいる時にはその価値や業績がさほど評価されなくとも、後になってその偉大さが理解されてくる、という指導者がいます。
在任中はそれほど目立たず、名指導者と思われない人です。
ところが、その人がいなくなると組織にぽっかり穴が開いたようになって、集団がぎくしゃくしてしまう。
そのときに初めて、あの人がいなければだめだ、素晴らしいリーダーシップの人だった、と思われる。
空気や水のように、平生はそのありがたみを感じなくても、なくなればその存在の必要性がしみじみとわかる、そんないぶし銀のような素晴らしい指導者がしばしばいます。
このようなさりげない指導者は
自主判断
自助努力
自己責任
この3つの「自」をしっかりと身につけており、「着眼大局、着手小局」の大切さを心得ている人です。
確かにそうなのかもしれませんが、私としては、去った後もしっかりと組織が動くような仕掛けをしておき、その偉さが全く感じられない、という人の方がより好ましく思えます。
そう考えると、本当に立派な指導者は、立派と思われることはなく、ただ人々の心の中に
「あの人と仕事をしていた時は楽しかったし、あの人のおかげという訳ではないと思うが、自分としてよい業績を挙げることができ、今日の自分があるのはあのときの働きがあるからだ」
というような思いを残していく、ということでしょうか。
「帝などいてもいなくても関係ない」との歌を聴いて安心したという堯帝の鼓腹撃壌の逸話を思い出しました。
- 作者: 牛尾治朗
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