すべて真夜中の恋人たち

センセイの鞄」を読んで、ふと読み返したくなった。
プロローグはともかく、校訂作業のお話や会社でのいじめのようなところから、本当にしっくりくる。
でも、Amazonの書評など見ていると、ここだけでもイライラしてしまう人もいるのだろう。

以前、シェークスピアリア王について、余りにもリア王の振るまいが理不尽で不合理なので納得できない、との意見が根強くある、との話を聞いたことがある。

自分自身のほの暗さを思う。
それを少しでも少なくするためには、こうして自然の中で自らを開くしかないように思う。





すべて真夜中の恋人たち、はセンセイの鞄を読んで、その雰囲気はよいと思ったとして、その問題のある箇所をすべて直して書いてみた、という感じがする。
女性の存在がしっかり書かれていること、年齢の不自然な離れ方が修正されていること、関係を手を握る限りのものとすること、男性から別れていくこと、物理教師というのが嘘であった(ことにしてある、もっと別の意味の嘘であった可能性すらある)こと、蛇足かも知れないが女性の素敵な後日談が書かれていることなど。
そして、奇妙なことに、こうした形で真っ当になっているために、センセイの鞄ではなかった批判が書評などで見られる。
川上未映子さんの笑みが見えるようだ。