子どもの泣き声

いろいろなところで赤ちゃんが泣くのを聞くことがある。
私は何となく赤ちゃんは泣くものだと思っているので、あまり気にならない。
言葉の話せない赤ちゃんにとって、泣くのは一つのコミュニケーションの方法だと思う。
何か言っているな、と思って側に行くことはあるし、そのことが面倒に思えるときもあるかもしれないが(子どもの相手をするのが面倒と思うことは基本的にはないが)、泣き声自体が気に障ると言うことはない。
また、子どもの遊んでいる声が部屋まで聞こえてくるようなことがあっても、それを騒がしいと感じたことはない。

私は実は音に弱く、廃品回収や右翼の街宣、選挙運動、竿竹売りから焼芋やさんまで、人工的な拡声器の音には本当に参ってしまう(おそらく、拡声器の音は、大きいことと耳障りなことがあるのだろう。肉声やラッパの音はあまり気にならないのだが。)。また、職場などで昼休みテレビをつけたりしているが、これもつらい。電車の中でヘッドフォンの音漏れがあるときなど、耐えられずに音量を下げてくれるようお願いすることもよくある。
しかし、子どもの声は何故か気にならない。

先日、ある人が子どもの泣き声には本当にイライラする、と言っていた。
そういう人もいるのだな、と思ったが、そのような人には異なるタイプがあるように思う。
とにかくやかましく感じている人と、泣いている子どもが可哀相で切なくて聞いていられないと感じる人だ。
尤も、前者にも後者の感情が含まれているのかも知れない。

人もそれぞれなので、それぞれの特性を生かしながら、自らの人生で出会う子どもたちがよき人生を送ることに貢献したいものと思う。