電車で

昨日、実家から帰る途中の電車の中でのこと。
私の隣の席が空く。次の駅で私が読んでいる本から顔を上げずにいると、隣の席に誰か座ったようだった。私にそれほど触れる様子もないので、体の大きい人、という訳でもないのだろう。
隣に座った人と、立ったままの人とで会話をしている。その言葉が若い声ではあるけれどやや荒いので少々驚いて顔を上げる。すると、私の隣に座っているのは小学校高学年くらいの男の子で、会話の相手はその若いお母さんなのだった。お母さんと男の子はよく似ている。小柄な、明るい表情の、顔を構成する一つ一つのものがはっきりとした感じの二人だった。

男の子はゲーム機のスイッチを入れてゲームを始める。しかし、イヤフォンをするわけでもなく、音を出したままにしている。私は暫く様子を見ていたのだが、
「電車の中では音は消しておいた方がいいよ。」
と言う。
男の子は素直に頷いて、音を消してゲームをしている。しかし、よく分からないが、それは音が出ないと意味のないゲームなのではないか。男の子は操作を続けているけれど、お母さんがセーブをするように教えていた。
やがて、私の降りる駅になる。
私は男の子に音を消してくれたことのお礼に「ありがとう」と言って立ち上がろうとしたのだが、お母さんが男の子に、
「お世話になりました、でしょ。」
と言うのが同時で声が重なった。私は少し驚いてしまった。
男の子は頷くばかりだったが、素直な表情だった。

私はそのまま電車を降りたのだが、その時、分かったように思ったのだった。
あのお母さんと男の子は、お父さんのいない家庭なのかもしれない。亡くなったのかも知れないし、また別の事情があるのかもしれない。男の子もやっとゲーム機を買ってもらったのかも知れない。やっていたゲームもけばけばしい派手なものではなく、キャラクターによる学習ソフトのような感じだった。言葉は荒いけれど、仲良く心を通わせながら二人で暮らしているのかも知れない。暖かく叱ってくれる父のような存在はいないのだろう。
私は少し泣きたいような微笑むような表情を浮かべながら、駅の階段を一段一段大切に、しかし出来るだけ軽やかに上っていった。