明眼の人

正法眼蔵随聞記のはじめに「はずべくんば明眼の人をはずべし」というのがある。
これは、何だか読んでいて妙な感じがする。
その話は以下のようなもの。


道元が宋の如浄禅師の元で修行していた当時、禅師の秘書役という名誉ある職に就くよう言われた。
その際、道元
「そのようなことをすれば、
   外国人を秘書役にするなど、まるで宋に人材がいないようではないか
 という批判をするような人がいるのではないか。
 私としては、そうした人の批判を気にして、お断りしたいと思います。」
と答えた。禅師も、その断りを容れて、以後要請することはなかった。


こんな批判をするような人が「明眼の人」だろうか。
訳では「物の道理を見通せる人からの批判を気にすべき」「立派な人からの批判を気にする」とあるが、どうも私には、「外国人だから」といった批判をするような人が立派とは思えない。むしろ、外国人であっても優れた人を重用することこそが、因果を重んじる仏教界にあって、また当時の世界国家たる宋に相応しい。だからこそ如浄禅師も道元に話をしたのだろう。
私としては、この「明眼の人」というのは諸般の状況を踏まえての表現で、一種の皮肉あるいは韜晦、あるいは道元自身及びその話を諒とした如浄禅師が「明眼」と言っているように思える。さらに言えば、「眼更になし」ということを敢えて言わずにいる、というか、明「眼」と限定していることを見るべきか。
道元の著作を読んでいて感じるのは、道元が世俗のことにもよく理解を示し、ある面で非常に現実的・実利的な見方もできることだ。
そのような観点からすれば、こうした見方をする偏狭な人が、今も昔もいることは間違いなく、組織を運営していく際には、それら偏狭な人の意見に本筋が左右されることは勿論あってはならないことだが、差し支えない範囲でそれらに配慮し、全体的によい方向に行くことを考えよ、との話のように思われる。かつ、それを伝えるのに、人を非難した表現は避けつつ、分かる人には分かるように話す。これは、むしろ現代のようにネット等で発言が流通する時代にこそ考慮すべきことだろう。


一方、面白いのは、中国に仏教を伝えた達磨大師から5代目の弘忍師から6代目慧能師に伝えられる際のお話。
5代目には優秀な弟子もいたのですが、その中で後れて参禅し字も読めない慧能達磨大師の衣鉢を渡し6祖とする。
その際には、難を避けて、午前3時にこっそりと自室で渡し、そのまま慧能を山外に逃がす、という話です。
やはり、法を伝える、という、本質の部分では人の眼などへの妥協はあり得ない。
道元も法は嗣いで帰国したのだった。


正法眼蔵随聞記

正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)

正法眼蔵随聞記 (ちくま学芸文庫)