ジョバンニの部屋

ボールドウィンの小説。
「次は火だ」を読んで面白かったので読んでみた。
別に私はゲイではないけれど、雰囲気としてはこんな生活をしていたような気もする。
それだけに切ない。

それにしても、ふと気づけば私はジャン・ジュネの小説も、とても好きだ。
そういえば、私の好きな「きらきらひかる」という映画も筒井道隆豊川悦司のゲイの映画だった。
私はゲイというよりは少し世の中をいわゆる「普通」とは違う見方で見ているのだろうか。
こんなことに気づくと自分で愕然としてしまう。


(平成19年10月9日追記)
この小説もそうだが、どうしてこんな男を好きになる男性や女性がいるのだろう。
もちろん、小説であって現実ではないと言えばそれまでだが、私はこれが現実であることを知っている。
語り手であるDavidも決して自分を偽るつもりもなく一生懸命生きている。
だから、それなりに魅力もあるのだろう。というより、致命的というほど魅力があるのだ。
若い頃他の少年と不思議な体験をする、ということくらい誰にでもあるだろう?
淋しい時、その時側にいる女の人に「君は素敵だ」と言わないにしても、一緒にいて欲しい気持ちになり、それが態度に出ることだってあるだろう?
ジョバンニが男だから異常な世界に見えるのか?
二人の女性だったら?
こう書いてみて、やはり女性だったら違うのかもしれない、と思った。
それは、男性との関係に基本的な背徳感があるからではない。
やはり、それは女性との関係とは別のもののように思われる。
だからこそ彼は重く両方を愛することができる、あるいは両方から逃避できる。


若い頃この小説を読んで「なんてひどい奴だ」と主人公に怒りを覚えた青年が、中年になり、自分が正にそんな行動をとり、そんな人間であったことに愕然とする、そうした予言の書のようなものかもしれない。
だからこそ、こういう本は若いときに読んでおかないといけない、と思う。