コンプライアンス革命

郷原信郎,コンプライアンス革命,文芸社2005年7月

なかなか読みやすく、面白かった。
著者の郷原さんは、
コンプライアンス法令遵守と訳すのは間違い。コンプライアンスとは表面的に法令を遵守すればいいということではなく、そのような意味のコンプライアンスはむしろ本来の問題の解明を隠蔽し、より深刻な事態を招くおそれがある。本来のコンプライアンスとは、社会の要請に応え、組織本来の目的を正当な手段で実現するため必要な要件を満たしていくこと。」と主張される。
面白いのは、畑村先生の失敗学のこの分野での応用である、と言っておられることだ。
失敗学は、私の認識として、手続や組織的なプロトコルによって本来の目的、価値が見えなくなることを特に問題視していると考えているが、確かにこうした視点は重要であると思う。こうした考えは、ある程度、自分でもそれこそ失敗と成功を重ねてきた人であれば皆持っていると思うが、それを他の人に説得力のある形で伝えようとするとき、こうした書物は有用であると思う。また、実際のcase studyも入っているので、実際の練習を行う際の参考にもなる。

この本の語り口などをみていると、大学の頃の芦部先生の立派さがかよくわかります。私も、しっかりとその後をついていきたいものだと改めて思いました。。

この本を読んで、ふと思った正法眼蔵の一節。
「又、日本国にひとつのわらひごとあり。いはゆる或は結界の地と称じ、あるいは大乗の道場と称じて、比丘尼・女人等を来入せしめず。邪風ひさしくつたわれて、人わきまふることなし。稽古(いにしえを考えること)の人あらためず、博達の士もかんがふることなし。或いは権者(空海)の所為と称じ、あるいは古先の遺風と号して、更に論ずることなき、笑はば人の腸も断じぬべし。権者とはなに者ぞ。賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等覚か妙覚か。又、ふるきをあらためざるべくは、生死流転をばすつべからざるか。」(岩波文庫正法眼(二)177ページより、原文はカタカナ。)