絶望的

今日は、1985年8月日航123便の墜落事故のことを書いた本からの引用、というか孫引き。夫を事故で亡くした女性の方のことを書いている。

「ご確認ください。」という検死官の非常にていねいな言葉。帽子を深くかぶり、白いマスクをしたその人が、じっとこちらの目を見ていた。深い悲しみ。言葉にすれば絶望的というのだろうか。マスクで表情は見えないが、三千子さんはその人の目を通して、その中に答えを見いだそう、確認しようとしていた。
「その検死官の方は、何とも言えない、絶望的な目をしていました。そして同時に、どうしようもない私の心を癒してくれるような、優しいまなざしだったのです。とても印象的で、あの瞬間のその方の目は、以後ずっとわたしの心に残しました。」
(飯塚訓「墜落現場残された遺族たち」講談社2001年5月ISBN:4062107465

悲惨を多く目にする人々は、自身に関わることでなくてもそれにより精神的に傷を負うといわれています。しかし、ここでは筆者も書いているように、「絶望」をしているわけではなく、深い悲しみを持っているということかと思います。
世に悲しみが多くあることに気づけば、それは、自分の悲しみ、他の人の悲しみを背負っていく途にいるということかもしれません。不幸な生い立ちの少女が座っていた温もりの残る座布団。「座っていた人の不幸が移ると言われていますので、ひっくり返してお座りください」と言われる。そのとき黙ってそのまま座った小泉八雲のようでいられるだろうか。