心のふれあう町

「小さな親切」増刊第450号「心かがやく「小さな親切」実行章」平成18年7月1日34ページより

心のふれあう町
 脳出血の後遺症を持つ私は、日々「遠くの親類より近くの他人」を実感しています。買い物や食事の用意ができない私は、限られた品数の出前が頼りの食生活です。向こう三軒両隣の奥さん方は、代わる代わる私のところをのぞいて、「買い物は?」「洗濯物は?」と尋ね、やってくださいます。その中には、「一人暮らしでは好きな物もたべられないでしょう」と、私の好物を作って持ってきてくださる方もいらしゃいます。一方、ご主人方は、交代で私の入浴の介助です。
 地域の方々の支えや援助を受けて生活している私ですが、そのことを一層実感したのが阪神大震災でした。
 その日の早朝、ベットから降りた途端にドーン、ドドーンという大音響と大揺れに転倒してしまいました。いくら起きようと努力しても、落下物が邪魔をして身動きができません。傾いた家、続発する余震にいつ全壊するか分からないなか、救助を求めようにも外は声一つ聞こえないのです。
 その時、「福嶋さん」と呼ぶ声が聞こえました。体の自由がきかない私の安否を気遣って、週に2度は様子を見に来てくださっているある会社の社長さんでした。倒れている私に驚き、「けがはありませんか」と言いながら抱き起こして、イスに座らせてくださいました。「何かの下敷きになって苦しんでいるのではないかと、気が気でなかった」という社長さんの目に涙が光っています。
 「すぐ戻ってきますから動かないように」とおっしゃった社長さんは、30分が経過した頃、あたたかいおにぎりとお茶を持ってきてくださいました。それは、心身の冷え切った私に染みわたりました。
 後で知ったのですが、社長さんが私におにぎりとお茶を持ってきてくださったとき、実は別棟にお住まいのお母さまは倒壊した家に押しつぶされ、お亡くなりになられていたのだそうです。社長さんの口ぐせは、「過ぎ去ったことをくよくよしても仕方がない。前向きに生き進もう」ですが、お母さまの死の悲しみを乗り越えて私にしてくださった行為に、感謝の気持ちを新たにしました。
 施設に避難するまでの3日間、1日何回も声をかけていただき、飢えることもありませんでした。地域の温かさを痛切に感じた出来事でした。その後、施設から仮説住宅に移りましたが、地域の皆さんは私をたびたび訪ねてきたり、好物を持ってきてくださいます。
 私はなんて幸福者なのでしょう。地域にいきているんだという感動が私を包みました。
兵庫県 福嶋克哉)