No to blackmail

今朝は、性的傾向についてのSecurity Clearanceに関する論点をLaw & Procedureで読む。面白いのは、異常性格のようなそれ自体が問題とされるものでない場合、特異な性的傾向を秘匿することが問題となるということだ。これは、現在のもののみならず、過去の経歴に関しても同様である。
今朝読んだ部分では、夫婦交換や婚外性交について、そのこと自体は問題とされておらず、そのことを職場の上司や妻に話しているか(つまり職業上・個人生活上重要な人に既に認知されたことになっているか)が問題とされている。これは、秘匿していることにより脅迫され、それにより国家機密を漏らす可能性がある、という理論の流れになっている。一般的には、そうした傾向を職場で明らかにし、且つ職場で認められているようなケースは少ないと思われるので、事実上そうした傾向を有している者の排除といった機能も有している基準であろう。
また、若い頃売春行為をし、結婚してやめたが離婚後娘の養育のため限られた人々に対して売春行為(複数に対する「愛人」的なものとも考えられる)を再開し、その後さらにその間の事情を知る人と結婚し、現在は勤務の傍ら大学でBSもとり更に大学院でMAを取得するための研究もしている、といったケースについても、配偶者及び勤務先上司が事情を知っていることを理由にSecurity Clearanceを認めているケースがある。

私は、人間は皆同じくらいの量の不真面目さを持っているのではないかと思っている。どんな真面目な人でもどこかで不真面目なところがあると思っている。不真面目な部分が人間として許されるものか、場合によって堂々と(とではなくても、慎ましくでもいいのだが)明らかにできるものであり、自分の生き方の中で筋を通せるものかが大事なのだろうと思う。その意味では、「筋」とか「神」とかが大事なのかも知れないが、かつて河合隼雄さんが「筋というのは、どうも世界平和といった高邁なものではなく、必ず家族が一日一度は食卓を共にするといった、一見理由もよく分からないようなことを頑固に貫くことで身に付くように思える。」と言っていたことを、思い出す。