格好いいこと

宮崎駿さんの「紅の豚」のコピーに「格好いいとはこういうことだ」というのがある。
また、ジブリ美術館では、ポルコ・ロッソの飛行服のレプリカを売っているという。
実は、私も映画の中で煙草をつけたマッチをポイっと捨て、「女性を波止場の杭くらいにしか思っていない」ポルコ・ロッソを格好いい、と思ってしまう一人でもある。(もちろん、もし現代の日本に彼がいたらポイ捨てなどは決してしまい。格好わるいから。)


正直言って、我慢しながら読んでいる Oppenhaimer Case.
それは、つまらないとかではなく、自らが対峙しなければならない問題を突きつけられるから。
特に、核兵器の使用に反対すること自体がSecurity Clearanceの上で問題とされるような状況は、原爆を投下された国の国民として複雑な気持ちだ。
かつてOppenheimerと苦楽を共にしたような人々の証言も、勿論基本的にOppenheimerを評価しつつも、証言が行われた時代(マッカーシズムの時代)を反映して自己保身的に聞こえるところが見られる。
そうした中で、John Lansdaleの証言はとても素敵だ。
科学者に対する辛口の表現(「科学者は自分の専門分野で優れていると他の分野についても自分が優れた人間であると思いこみがちで、またそのように振る舞う傾向がある」、これは、科学者だけではなく、老若男女職業を問わず気を付けないと陥る傾向だと思うがここでは審問の文脈の中でこのように言及されている)等がある一方で、「『共産主義者』とは何か」という質問に

My working definition of a Communist is a person who is more loyal to Russia than to the United States.

と述べている。これは、Communistというラベルを貼った上で、その特性として述べているのではなく、ラベルを貼る段階での基準として述べている。あの時代に、こうしたclearな定義を提示する格好よさというのは今聞く以上に勇気が必要なのではないかと思う。曖昧な定義でいわゆるリベラルな人たちを追い込んでいく勢力(正にこの尋問を行っている場だ)を、一人一人の人間に解体してその眼を覚ますような発言ではないか。