神学生

イグナチウス・デ・ロヨラが神学生たちに宛てた手紙から。

・だれ一人として自分が話し上手であるとか、上品な人であるとか、賢い人であるとか、ていねいな言葉で話す人であるとか望まないように。人々から尊敬され偉大な人と思われるよりは、このような望みをむなしいものとして退け、むしろ卑しめと蔑みを選んだキリストに目を注ぐように。
・もし自分が模範に悖ることをしでかして、そのために人々が自分を以前より高く評価しなくなったとしても、あまり霊的に後ずさりして落ち込まないように。かえって謙遜になり、自分の悪い例に躓いた人々に許しを乞うように。また自分の目上の人に償いをさせてくれるよう求めるように。そして自分を謙虚にするようそのことを赦してくれた神に感謝するように。何故なら自分が誰であるかを、皆に知られるようになったからである。神のみまえでは自分がどんな者であるかを神が知っているように、人々の前においても、よりよく思われようと望まないこと。もし、そう望んだのなら、その過ちを見た兄弟たちは、自分たちよりも、より大きな弱さに陥るかもしれないと考え、すべての過ちの償いのために神に祈るように。

特に、2つめの点は頷くところがあります。
私は、よく気持ちが表情に出る、と言われていました。かつては、それが恥ずかしかったのですが、今はむしろそれが私の有利な点であると考えています。常に神様を感じ本当に相手の立場も考えて誠実でいないとそのことが顔に出てしまう、というのは自らを戒めるのにとてもよいし、また本当に誠実に考えているときはそれが表情に表れた方が物事はうまくいく、ということに気付きました。