Leave a legacy

以前、「第八の習慣」という本を読んでいたとき、To live, to learn, to love, to leave a legacy という言葉があった。私は、この"leave a legacy"ということがぴんと来なかった。日本語訳では「後世に残すかけがえのない財産」とされている。私は、消え去ってしまいたい、などと思わないでもないし、なんとなく、自己主張の強い感じがしたのだった。しかし、それは、人智を超えたものに尽くす、という意味であるように思えてきた。そして、例えば、ロヨラの書簡集にある、次の例え話のようなlegacyが、自分が意識しないうちに残ってしまう、ということのように思えている。

聖フランシスコ会の修道士たちは、たびたびある家を訪問していました。修道士の話がとても敬虔で聖なるものだったので、その家にいた娘は、大きくなって、聖フランシスコの家で修道生活をしたいと考えるようになりました。そして、とうとうある日、男装をしてフランシスコ会修道院に行き、修道院長に会いました。自分が主なる神と霊父のフランシスコ、そして何よりもその修道院の僧たちに仕えたいという望みを抱いていることを告げ、修道服を身に着けさせてもらいたい、と願い出たのです。彼(男装をした娘)は非常に熱心に望みを打ち明けたので、修道院では彼に修道服をまとわせました。その後、彼はこの修道院で、慰めに満ちた深い観想生活に入りました。ある夜、この修道士ともう一人の仲間の修道士は旅をしていて、修道院長の許可をもらって、ある家庭に宿泊したことがありました。その家にいた少女は、この善良な修道士に恋するようになりました。悪魔がこの少女を導いたのでしょう。彼女はこの善良な修道士が眠っている間に彼の部屋に忍び込もうとたくらみました。そうすれば修道士が罪を犯すかもしれないと考えたからです。しかし修道士は、すぐに起き上がって、この少女を部屋から追い出しました。少女は激怒し、善良な修道士がいちばん困るようなことをしてやろうと考えました。そこで数日後、この悪意をもった少女は正義を訴えるために修道院長に会いに行き、善良な修道士によって妊娠させられたと告げました。
この話は、街中に広まったので、とうとう修道院長はこの修道士を修道院の門の前の通りに連れて行き、人びとが懲らしめを受けている修道士を見ることができるように、彼を縛り付けたのです。この修道士は、人びとが彼に向けたあらゆる悪口、罵り、侮辱の言葉を身に受けながら、何日間も門の外で縛られたままになっていました。修道士は自分の正しさを一言も弁明することなく、ひたすら心の中で、創造主に語りかけていました。彼はこの出来事を通して、神からたくさんの賜物を受けました。修道士が人びとのさらし者になったから何日かが過ぎました。人びとは、この修道士の忍耐強さに感服し、修道院長に彼の過去のすべてを赦し、もう一度彼を愛する修道院に連れ戻すように願いました。あわれに思った修道院長は、彼を修道院に連れ戻しました。そしてこの善良な修道士は、天に召されるまでのあいだ、この修道院で何年間も過ごしました。
そして彼が亡くなって、埋葬のために修道服を着がえさせているときに、修道院の人びとは、彼が男性ではなく、女性であったことを知り、初めて無実が明らかになったのです。修道士たちは皆、彼の罪を罵ったときとは違って、晴れやかにその無実と聖性を称えました。今でもこの修道院の僧たちは、他のどの修道士についてよりも、この善良な修道士のことを深く心に刻んでいます。
イエズス会編「聖イグナチオ・デ・ロヨラ書簡集」平凡社より)