5番目の方法

このところ、毎朝Alcoholic Anonymoous の 12 steps を見ています。
この12stepsは、アルコール依存症の人々により実践されているだけでなく、薬物依存症の人々にも大切にされていますし、先日読んだ藤岡淳子さんの本でも、子供への性的加害をしてしまう人がこの12 stepsに取り組んでいる、との手記がありました。


この12stepsの、第5番目の方法が
「神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。」
というものです。


或いは、神に対し、自分に対して誤りを認めることはできるかもしれない。
実は、「もう一人の人」に対して誤りを認めることは難しいのかもしれない。
それは、懺悔のように他の人に聞かれぬ場所でやることではない。
「もうの一人の人」に言う、ということは、全世界に対して言うことかもしれない。
或いは、自分が傷つけ、許してくれないかもしれない人に対して、自分の罪を認めるということは、それをきっかけに更に責められることになるかもしれない。
或いは、内心、自分の方がまだましだ、と思っている人に言わなくてはならない、そしてその人から非難を受けなくてはならないかもしれない。
その「一人の人」に対する信頼が裏切られ、傷つくかもしれない。
しかし、このステップこそ大切なのだ。
さりげない一言だが、重い一言だと思いました。


弱いところを持ち、何事かに依存して生きている人は、ことによるとアルコールや薬物の依存症の人だけではないのかもしれない。自分の地位や権力、お金に依存している人、自らが何も持たず他から虐げられているという思いに依存している人、パチンコ・賭け事・勉強・スポーツ・ゲーム・ネットに依存している人など。
私自身も、さまざまなものに依存しているように思います。


「もう一人の人」という言葉が、聖書のどこかにあったと記憶しています。
また、イグナチオ・デ・ロヨラの書簡集でも、確か、どんな人からの批判も素直に受けるべき、との記述があったように思います。


先月下旬に父が亡くなりました。大往生というべきかもしれません。
また少し整理がついたら、後付でそのことも書いていきたいと思っています。