考の道を問うの段

昨日に続いて、都鄙問答を読む。
今日は、「孝の道を問うの段」。

これは、教えを乞う人が、
「親から、借金に来た伯父に『金を貸してやれ』と言われたが、
『あの伯父は返す当てもないのに借りに来ている。貸していれば当家が傾く。』と言って断った。」
と語ったことなどにふれながら、
「親の言うことは何でも聞け、親のために死ね」
と説いている。

これは非常に違和感のある話だ。
よく明治期の小説に、金を借りに来た親族に金を貸して困っている話が出てくる。
こういう話はどうも理解しがたいところがあり、また尊属殺などの制度もなかなか理解しがたいところがあった。
このような話や制度の背景には、こうした教えが巷間に徹底していたためかも知れない。

それでも、当時も姥捨山のような話もあり必ずしも親を常に大事にしているわけでもないようだ。
どうもよく分からないところがあるが、実は、これらは「事業」という観点と関連しているのかも知れない。

今回の話の中でも
「君の資産は自分で築いたものか、親から受け継いだものか」
との問があり、質問者はこれに対して
「全て親から引き継いだものだ」
と応えている。
つまり、親の借金や支払指示は、ことによると親の代の事業に因を発している可能性があり、それらについては子が継承することが経済社会において重要である、ということがあったのかもしれない。
ただ、それをこのような形で表現することは適当ではないように思われるし、増してそれを現代に文字通り受け取るようなことは(誰もしないとは思うが)適当ではないだろう。